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*掲載内容は2007年当時のものです。
 そのため、ピカソの現在の活動とは異なっている部分があること、また一部リンク切れがあることをご了承ください。
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辻畑 鉄也(つじはた・てつや)

1956.2.29/AB型という、希有な☆の基に産まれたお方。
山口県宇部市出身。ピカソではVo & A.Guitar ; 主に作曲を担当。

中学時代、自宅でラジオを聴くという人生最初の過ち(?)をおかしてしまい、以降フレンチポップスに没頭。しかし中3の秋、親からハッパをかけられて猛勉強、県立宇部高校に入学(←県内1・2を争う進学校)。
高校では長距離とフォークロックの鬼として陸上部と器楽部を掛け持ち(かの高校はケーオンのことを器楽部と呼ぶらしい)。
慶応義塾大学では最初フォークソング部に入ったものの、音楽性の違いからすぐに退部しポップス研究会。3年の時、新入生として入部してきた森さんと出逢う。
卒後、家庭教師などをしながらデモテーブ作りを行い、1983年“宇宙人歌手”ことスターボーに楽曲を提供。翌年「ピカソ」として歌手デビューを果たす。その後数多くの有名歌手に楽曲提供し、中でも西村知美のシングル曲を3枚連続で書いた時はオリコンからヒット賞をいただいたらしい。
1999年、有限会社の事務所「プロジェクトピカソ」ならびにインディーズレーベル「メトロノームレコーズ」を設立。自らも参加したBell & Accordionsを始め、松田真朝、吉沢梅乃などの逸材を発掘し全国デビューへと導く。

通称“リーダー”“社長”。
人当たりはソフトなのに、気がつくといつの間にか輪の中心にいて、みんなをまとめてしまってるという。
がっしりした体格のせいか「森や東は“ピカソっぽい”と言われるのに、自分はどーもそう言われない」とのことですが、いえいえどーして。トンデモナクcleverなお方です。
現在は事務所と故郷=宇部を往復する日々。2007年、宇部に音楽教室「ウー・ララ music club」を設立。
地方の若手アーチストが上京して活動する際の経済的問題を目の当たりにして、彼自身が心を痛めたことをきっかけに、地方のアーチストが地方に居ながらにしてレベルの高い作品を世界へ発信するためのノウハウを教える場として作った....という教室。あくまでも生徒の自己向上の手助けの場であってプロデビューを旗頭にはしていないが、既に有望な地元アーチストがちらほら出現しており、いずれこの教室からヒット曲が産まれるかも?




東 純二(あずま・じゅんじ)

1956.12.1うまれ/O型。
東京都世田谷区出身。ピカソではE.Bass ; 主に作詞を担当。

東海大学を卒業する頃、森さんの紹介で辻畑氏率いるバンドに加入。後にピカソの前身となる5人組バンドであった。
1982年頃からバンドとして芸能事務所に出入りする様になったが、当時はまだ正式なバンド名もない状態だった。(純二さん情報によると、普段は「鉄たち」などと呼ばれ、ライブ出演の時は「MASH」「ビーナスNo.1」などと毎回名前が変わってたらしい)
その後、家庭の事情などで2人が抜け1984年、現在の3人で「ピカソ」としてデビューする。
1989年、アルバム「Marmalade Kids」で「THE LOSER」「夏の約束」を作詞作曲。以降、作詞家としても活躍の場を広げる。特に福山雅治のアルバム「BOOTS」では作詞アドバイザーを勤め、シンガーソングライターとしての彼の音楽性の基礎を築いた。

アニメ「下級生」などに曲を提供する傍ら、ベーシストとして、杏子から五木ひろしまで様々なアーチストの曲に参加。詞/曲/編、何でもこなすマルチなプロデューサー振りを発揮。

通称“ロッカー”だったり“じゅんじ”だったり“文豪”だったり“工場長”だったり(やたら愛称が多い....)。
ニヒルな視線と変遷激しい髪型とはうらはらに、ステージを降りれば、信じられないぐらい一般人のお兄さまだったりするという(笑)
ピカソ事の命名関係は、たいていこの方のお役目。サッカーは観るのもやるのも大好きらしい。
そういえばお友達に「ジュルジュ・アズマーニ」って人がいた様な気も?(笑)
それとねぇ。このお方、笑顔がイイのヨ!....ん。とっても。ホントに。




森 英治(もり・ひではる)

1958.2.26うまれ/A型。
大阪府出身。ピカソではKeyb & Accordion ; 主に編曲を担当。

作詞家:森雪之丞氏の実弟として生まれ、5歳からピアノを習う。
慶応義塾大学ではポップス研究会に入部。坊主頭で鍵盤を弾くという不思議な出で立ち(?)が、辻畑氏の目に止まる。卒業後、ドカタでバイトをしながら音楽活動を続ける。
ピカソの前身バンド「MASH」で活動する傍ら、1983年、伊藤銀次のライブツアーにサポートメンバーとして同行。また小島拓也に曲を提供。翌年「ピカソ」として歌手デビューとなる。
1988年、東京芸術大学で管弦楽を学び、1997年にはイタリアに半年滞在して映画音楽を学ぶ。山崎まさよしのシングル「僕はここにいる」のストリングスアレンジは記憶に新しい。
ソロでは古くは「YAWARA」「らんま1/2」、最近では松たか子主演のCXドラマ「役者魂!」の音楽を担当。「S.E.N.S.Project」のメンバーとして、ドラマやアニメや映画のBGMを作りまくる多忙な日々を送っている。中山ラビのバンド「ラビ組」のメンバーとしても活動中。

通称“スタジオのロマンチスト”または“森ちゃま”(笑)。
緻密で繊細なアレンジワークからはピンと来ませんが、実は意外とアツイ魂の持ち主らしい。愛娘とビールとワインをこよなく愛する、いつもニコニコのオジサマなのデス。
テニスはプロ級の腕前という噂は本当か?....また、底なしの彼がいざ酔っぱらうと、バカになるという噂の真偽は!?